ゆか先生
※本名はインターネット上で公開していません。
1980年代 福岡市生まれ
地元の公立小学校 → 公立中学校 → 単身渡米 西海岸の高校 → 帰国 → 観光系専門学校 → アメリカ西海岸の芸術系大学
英語との出合い
- 1歳頃〜 英語好きだった母親の影響で英語の簡単な単語やフレーズに触れる
- 3歳〜14歳 アメリカ人が経営する近所の英会話教室へ通い始める
昭和後期の地方では、まだ現在のような早期英語教育は浸透しておらず、子供向け教材も充実していなかったため、 - 5歳頃 中学生向け英語テキストを読む
モノクロ印刷のテキストで、a, an, theの説明が書かれていたが理解できず母親に聞いたが、説明が明瞭でなく挫折した(笑) - 9歳頃 百科事典で英語の単語を勉強する
平成時代。これも当時音声はなく、英語の文字の上にカタカナ表記されていたと記憶している。あまり長続きしなかった。 - 12歳頃 NHKか何かの英語講座
確か英語講座だけでなくヨーロッパ言語にも手を出し始めた頃 - 13歳頃 広告でよく目にした『家出のドリッピー』を始める
初級の英語学習者がわりとよく手を出す教材だと思うが、大人も利用していたようで「ストーリーが子供っぽい」と感想を聞いたことがあったが、わたしにはちょうどいいストーリーだった。 - 15歳 駅前留学NOVAへ移る
次の年にアメリカに行くことにしたため、色々な外国人の英語に慣れる目的。ここでレベルチェックのあと受付のお姉さんから「英語の発音が綺麗ですね。何かされてたんですか?」と質問をされ、母親と「いや〜別に」と答えたのを覚えている。英会話教室に長年通っていたにもかかわらず、自分の発音の良さを自覚していなかったし、教室で発音を意識するような指導も受けていなかった。
*英語以外に10代で手を出した言語:フランス語、オランダ語、スペイン語
教材などは親が選んだものではなく、本屋に行ったりして自分で選んだもの。学校の勉強には興味がなく、言語と読書が好きだった。
英語や他言語に興味を持ったのは、きっと人間に興味があったからだと思う。自分とは見た目の違う人たちが、自分の知らない言葉を話すことに不思議な感覚があった。
父親の仕事の関係で、スペイン語を話す南アメリカ出身の家族と知り合うことが出来、スペイン語の勉強を始めようと思ったきっかけになった。中学1年頃と記憶しているが、英語の教材も古臭いものばかりだったのにスペイン語の教材は特になかった。
ちなみに英語以外話せません。
英語教室の設立〜いま
設立当初は3歳から70歳代まで幅広く生徒を募っていましたが、物理的スペースが狭くなったこと、時間的余裕が亡くなったこともあり、現在は小学3年生〜高校3年生+浪人生専門の教室になりました。
設立して数年して生徒がいなくなったらその時点でやめようかなと思いながらやっていたら、幸せなことにこの20年続いております。今は(というか10年くらい前から)やめることは考えていません。
上のプロフィールを見てもわかるように、わたしの教室は受験専門ではありません。
開校当初、市内の私立中学校の男子生徒が学校の英語の教科書を持ってきて指導していましたが、まったく理解出来ないページがありました。「同じような意味になるように」だったか何かでしたが、なぜそのような無意味のことをさせるのか、さまざまな答えが考えられる中でどの答えを待っているのかわかりませんでした。
あれから私立公立の中学高校の学校英語を見てきて、だいぶ慣れてきました。もし今もう一度見たらわかるだろうか・・・。
「同じ意味になるように」や、英文和訳は苦手ですが、高校受験英語、大学受験英語、英検5級〜準1級の対策指導は出来ます。それなりに結果は出ています。
詳しくは日々のブログ記事を読んでください。